27年間生きてきた。
貧しくもなく、別段裕福でもない。
でも、それなりに金を稼いできた。
世間一般大卒程度だ。
高い肉も焼いたし、脂の乗った寿司も食った。
酒はあまり飲まないが、飯に関してはそれなりに金を使ってきた。
結果、食に関する探究心は年々下がり、値段に関係なく、旨いものは旨い。不味いものは不味いと素直な感想を持てるようになったと思う。
社会人になりたての頃は、色々憧れるものだ。
学生は基本的には金がない。
今まで食ったことのないようなまだ見ぬ旨いものが世の中にはいっぱいあると思ってた。
高級焼肉、高級寿司、高級天ぷら、フレンチ、イタリアンのコース料理、ジビエなどのアウトドア料理などだ。
お金に余裕があれば、片っ端から手を出していた。
楽しい時期だった。
食べたことないものを食べる、好奇心を満たす。
稼いだ金の使い方としては悪くない。
でも、だんだんと虚しくなってくる。
値段は際限なく上がっていくのに、受ける感動は薄まっていく。
要するにコスパが悪いのだ。
自分を高く上げ過ぎた結果だ。
いいものと言うのは、たまに食べるから美味しい。
気の合う仲間と一緒に、分かち合って食べるからこそ美味しいのだ。
山に登った後の、コーヒー。
サウナ後のカレーと水。
そういうのが、贅沢というものだ。
普段は質素な食事でも構わない。
物事は緩急だ。
ストレスからの解放、リラックス。そこにカタルシスが生まれる。
サウナも、高温からの解放が心地よい。
食事だってそうだ。
高くて美味しい食事は、自分へのご褒美だ。
自分を高く保つために、高い食事をし続けていると美味しくなくなる。
今まで色々食ってきたけど、俺の結論は松屋のプレミアム牛めし並汁だく380円だ。
味に関しては、完成されている。
牛丼というのは、非常に理にかなった食い物で、脂つまり牛脂を塩分、調味料で味付けし、飯にぶっかける。
これが旨い。
人間の味覚は塩分+旨味+炭水化物を旨いと感じるようにできている。
旨味は牛脂で、炭水化物は米つぶだ。
特に油でコーティングされた食い物に我々人類は弱い。
炒飯しかり、天ぷらしかり、ラーメンしかり。
この理論に則ると、塩分旨味炭水化物が揃っており、汁だくによって米の一つ一つがコーティングされている牛丼はもはや、旨さが約束されているも同然。エクスカリバーのような存在だ。
こいつを食べて、旨いと感じない奴は僕から言わせれば舌が肥えてるんじゃない。自分を高く置き過ぎて、何が旨いかすら判断できなくなっている哀れな存在だ。
牛丼を食べて旨いと思えないような生活は人間の身の丈を超えていると僕は思う。
汗をかいて一生懸命働く。
自分の趣味を楽しめるくらい、余裕、ゆとり、休息を取る。心が潰れないためにも。
そういう生活をしていれば、牛丼がとびきり旨く感じるはずだ。
そう感じないので有れば、無理をし過ぎ、又は自分を甘やかし過ぎだと思うようにしてる。
牛丼は僕にとってある意味人生のバランサー、コンパスなのかもしれない。
いいかい学生さん。
牛丼をな、 牛丼をいつでもとびきりおいしく食えるくらいになりなよ。 それが、人間えら過ぎもしない 貧乏過ぎもしない、 ちょうど いいくらいって とこなんだ。