上達論
捲る(まくる)
不利な状況から勝つことだ。
不完全情報ゲームやってる人ならわかるだろう。
麻雀は配牌とツモで勝つ人はあらかじめ決まっている。
上級者は、配牌と対戦相手の顔と雰囲気を見ればその局のアガリ番が誰なのかわかるらしい。
漫画の世界の話だが。
とにかく、ランダム要素のある不完全情報ゲームというのはゲーム開始時であっても、試合の途中であっても不公平なものである。
カードゲームも同じである。
多くのカードゲームは、戦略と戦術の2つに分解して考えることができる。戦術とは小規模におけるノウハウであり、戦略とはより大きな規模で捉えたそれである。
これは個人的な定義だが、
- カードゲームにおける戦略とは、卓に座る前の準備段階であり、環境の把握やデッキ選択、構築、調整のこと。
- カードゲームにおける戦術とは、卓に座った後の勝負の場で、相手の動きを読み、こちらの最大効率を叩き出し間違えないプレイングスキルのこと。
だと考えている。
カードゲームも先攻後攻、初手、マリガン、ドローなど途中のランダム要素がある。加えて、戦略面でのそもそもの持ち込んだデッキ同士の相性や構築のレベル、そもそもの知識量など極めて不公平なゲームだ。
カードゲームにおける上級者とは、戦略面、戦術面の両面でこの不公平を作り出し、ランダムにおける理不尽で沈んでいく人である。
絶対に間違えないAIが存在すると仮定する。このAI同士が対戦する時、デッキをシャッフルして先攻後攻を決めた時点でどちらが勝つかは決定するはずだ。(厳密にはゲーム中にリシャッフルやランダム効果を挟むと違う結果になるが無視する)
ここで言いたいのはゲーム開始時点で対戦相手と自分は極めて不公平であり、その勝敗も運命として決まっているということである。
まずその事実を受け入れる必要がある。
しかし、我々は人間なのでミスをする。単純に相手のデッキや動きに対する理解が足りず読み誤ったり、操作ミスなんてことも時にはあり得る。
上手くなればなるほど、強い構築やゲームへの理解が深まり、先攻後攻や引きなどの理不尽に屈する。結果ゲームがつまらなくなる。
いわゆる運ゲーというやつである。
本当にそうだろうか。
私はその先があると思う。
それが相手がミスして、捲ったという感覚。相手のレベルが高いほど、自分のレベルが高いほどこの捲ったという感覚を多く掴むことができる。
試合全体の大局観を掴み、試合が負け試合であることを悟る。それでも最善手を指し続け、相手がミスした時にこの捲りは起きる。
不思議なことに初心者の時にもこの捲りは連発する。
それは自分の戦略と戦術が相手に大きく劣っており、基本的に負け試合だからだ。
だからランダムに頼った不公平を味方につけて、格上を殺す。細い線を通す。
自分より格上に勝つのは気持ちがいい。これが原体験になっているプレイヤーも多いのではないだろうか。
勝って当然くらい実力に差があると捲る感覚は消える。勝つのが当たり前になるからだ。逆に格下に負けた時にランダムによる不公平に負けた事実が残り、つまらなくなる。(運ゲー)
上級者同士になると、今自分が負け試合なのか勝ち試合なのかがわかる。
それを認めた上で、試合を捲るチャンスを待つ、もしくはいかに捲られないようにするかが大事になる。
運ゲーを嘆く中級者は、今の試合が負け試合なのか勝ち試合なのかを捉える感覚が育っていない気がする。だから、戦略戦術が優れている自分は全ての試合で勝てると錯覚し、負けに捉われる。
まず、負け試合と勝ち試合を感じ取れるようにする。
そして、捲る感覚、捲られた感覚を鍛えていく。
最も大事なことは、捲られた試合を感じ取り反省し、ゼロに近づけて行くこと。
そしてそのためには、捲った試合を多く持ち、勝ち試合負け試合の大局観の感覚を研ぎ澄ませて行くことだ。
これが上達に最も必要な視点だと考える。