人間は考えてることをすぐ忘れる生き物なんだよな。
だから、日記でも、手帳でも、ブログでも写真でもなんでもいいんだけど、日々考えたことをログとして残すことが大事だと思う。
記録ってのは偉大だよ。
ぼーっと生きてると、ただ生きてるだけなのさそれは。
例えば誰にも合わずに、1年間暮らす。
合わないってのは他人に影響を与えないということ。
もちろん、そんなことは不可能だけど仮定の話。
これは生きてると言えるのだろうか?
死んでるのと同じではないか?
認識されないものはないものと同じなんだ。
これは何も他人に向けてだけではない。
頭の中で考え事をする。
それをいつまで覚えていられるだろうか?
早いと次の瞬間には忘れてる。
人は忘れる生き物だ。
1時間一生懸命考えたとして、それを君が頭の中から何かに移さずに、忘れる。
そうした時、その1時間は死ぬんじゃないか?
完全な死ではない、ふと思い出すことはある。
でも、緩やかな死だ。
2割ふとした瞬間に思い出しても8割は死んでる。
自分がふと振り返ってその時考えたもの、感じたことを思い出せるのが大切なんだ。
だから誰にも見せなくても記録は取っておいた方がいい。
特に感情が大切かな。
論理的なことは他の人も思いつく。
でも、感情だけは本人だけのものだ。
悔しかった時、嬉しかった時。
それを思い出として残す。記す。
残したものが人間としての積み重ねのような気がする。
あと、考えるという行為は文章として書くということだ。というのが最近のビジネス界隈の通説だ。
人は考えるときは、文章で考える。
試しに頭の中で言葉を使わずに、何かについて考える。出来ないはずだ。
文章化できないものは考えられていないというものだ。
それを経ていないときは、直感である。
考える時に同じところをぐるぐる回ってしまう人も紙とペンを使って書くとぐるぐるの中から抜け出す事ができる。
頭の回転が速い人というのは、A4用紙を一瞬で何枚も埋めて、かつ他の人用に一枚で見やすく纏められる人ということだ。
要領の悪い人は、初めから下書きやアイデア出しなどをせずに、直接清書で綺麗に描こうとする人もしくは、うまく纏められない人だろう。
だから、ログをためる。
ログをためるのは、考えるということを積み重ねるということに他ならない。
誰にも見せなくてもいい、むしろ見せない方が本音で語りやすい。
人間の本当の夢というものは周りに公言できないことも多い。日本という国は和を持って尊しと為す国なので、優れた何か、ヒーローや大統領になりたいという夢さえバッシングされる。
夢とはどうやらささやかなものでなければならないらしい。
だから誰にも言わなくていい。
心の中で大きく大きく育てる。
夢のログをためろ。
ログにしないと、育たない。
忘れるから、諦めるから。
賢い人ほど嘘をつく。
他人にも自分にも。
嘘をつくな。何が嫌いかより何を好きかで語れよ。
ってワンピースに書いてあった。