きーりぃ日記

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SNSの盛る文化の違和感。

noteからの転載。

掲載元は削除。

 

ここ最近、インフルエンサーやYouTuberなどのインターネット芸人に強烈な違和感を感じる。
インターネット上で、自分が書いた情報商材を売ろうとする人やアフィリエイター、ブロガーなどその他胡散臭いアカウントなら尚更顕著だ。
この強烈な違和感の正体はなんだろうか?
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インターネットネイティブとSNSネイティブ
僕は今、20代後半で世代で言えばインターネットネイティブ世代の人間だ。
だけど、SNSネイティブ世代ではない。
インターネットで顔や連絡先、住所などの個人情報を晒すのはリスクが高いと考える世代だ。
デジタルタトゥーとでもいうのだろうか。
インターネットは匿名の空間で、コンテンツを作ったり、発信したりしていても誰が作っているのかはわからない。せいぜい、ハンドルネームを名乗るくらいのもので、アバターとしての自分を売り込むくらいが限界だと考えている。
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一方でSNSネイティブの世代の人たちは、実名を使う傾向にある。Facebookなどではそのままの実名を使うことも多いが、Twitterなどの匿名性の高い媒体であっても、実名に近いニックネームを使うように思う。
なにが言いたいかと言うと、リアルの自分とネットの中の自分が同一であると言う認識を高い割合で持っているのではないかと言うことだ。
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つまり、インターネットネイティブはリアルとネットの繋がりが薄く、アカウントはアバターとしての役割を持つため、オールフィクションとして全く違う自分を演じてみたり、リアルでは出せない本当の自分を匿名でさらけ出すという意味合いが強い。結局は自分のリアルが土台としてあり、そこから一時的な仮想空間での役割を楽しんでいるに過ぎない。
だが、SNSネイティブはリアルの自分の延長線上にSNSの自分がいる。そこにフィクションが混じっていたとしても同一視してしまう。フォロワーの数を現実の自分の友達の数と同一視してしまいがちだ。それ自体は悪いことではないが、ここにもう一つ自分を大きく見せる、つまり盛るという行為が入ってきたときに、厄介なことになるケースが出てくる。
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人はなぜ盛るのか
ズバリ承認欲求と金である。
インスタ映えがわかりやすい例である。
高級で美味しそうな食事、人生をエンジョイできる仲間、綺麗な景色。
人よりいい生活をしているという自己顕示。それによって優越感を得る。それ自体は否定しない。
人間は他者と比較して自分に順位をつける生き物である。ちょっと違うかもしれないが、猿は完全に群の中で順位が決まっている。
強い猿から食事をし、弱い猿はなんにおいても端に追いやられる。
極々自然な行為だ。
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もう一つが金のためだ。
彼らは嘘の自分を見せることで、物を売ろうとする詐欺師である。
社長や医者、弁護士を騙り、権威ある自分が作った商品やおすすめする商品を弱者に売りつける。
人は権威に弱い。
よくあるお金稼ぎ本でも年収1億の人が売ってる本と月に3万売っている人の本であれば前者を買いやすい。
ダイエット食品なども権威ある医者がおすすめしてれば、多少高くても買う人は多い。
そのために、彼らは職業を偽り、年収を偽り自分の権威を大きく見せる。
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盛るという文化が受け付けない
私はこの自分を盛るという文化がどうしても受け付けない。
それがフィクションのアバター、キャラであればいくらでも偽ってもらっても構わないし、ネタとして面白いと思う。
でも、その虚構を真実のように雄弁に語るのは、きな臭く感じる。
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これは現実世界で考えると、信用を失う行為であるからだという結論に達した。
例えば、自分の身分を偽る人間と仕事は出来ないと思う。
嘘はつかない、誠実であるというのが最低限のマナーというか仕事をする上での必須条件だからだ。
インターネットネイティブ世代は嘘を嘘、フィクションとして楽しむ事ができる世代なのだが、あくまでフィクションである事が前提なのである。
現在は、マックの女子高生や外国人の友人とか近所の子供にネタや自分の気持ちの代弁を語らせると嘘松と切り捨てられるが、昔はコピペとして親しまれていたものである。今も、ミームとして一つの型での大喜利があるが好まれるかどうかはそこにユーモアがあるかどうかが大きい。
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自分を本気で騙るための嘘か本当かわからない嘘やちょっと自分をよく見せるためのいいところだけ切り取った物、承認欲求を満たすためのフォロワー買い。
これらは、現実に引き戻されたときに虚しいだけなのであるが、やってしまっている人も多い。自分もやっていた事がある。
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ようは人は皆イキりたいのである。
実際の自分の中身がどうであれ、マウントを取りたい。それが盛るという行為に繋がっている。
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リアルでは、謙虚さが求められる。自分を誇張しないのはもちろんのこと、本当の実力よりも下のラインで自己紹介をするものだ。
学会などで、頭のいい教授が「素人質問で恐縮なのですが」とか「不勉強なので教えていただきたいのですが」とかへりくだった質問をする。
営業マンも、基本的には自分は大したことないと下手に出る。
偉い人、すごい人ほどそうだ。
自分を下にして、相手をたてるというのが、定石だ。
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しかし、SNSでは一目で何者なのか、どれだけ凄いのかが判断できることが求められる。
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しかも、簡単にバレる嘘であっても、初対面のネット上の人の嘘まではなかなか見破る事ができない。
それを証明するエビデンスもなければ、否定するエビデンスも持ち合わせていないからだ。
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結果、インターネットでは自分をよく見せること自体が競争となっている。もはや、フォロワーの増やし方、インスタの盛り方、アカウント運用自体がスキルになり、売買されている状態だ。
そこにアカウント所持者の中身はあまり関係なくなってきている。
中身の面白い人間が発信する内容は面白いが、その内容をパクってくればある程度は良いものができてしまうからだ。
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これは個人の感想だが、盛る技術の高い人よりその人自身が面白くなるように勉強、研鑽して行って欲しい。
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逆転するSNS世代
さて、インターネットネイティブはリアルとフィクションを割り切っている世代が多いのに対して、SNS世代はその境目が薄いという話をした。
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すごく危険だなと思うのは、リアルとフィクションの境目がわからなくなってしまう人が増えているのではないかということ。
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自分より若い世代に否定的な意見をぶつけると、昔は良かった老害になってしまうが、決して否定的な意見ではなく、単純にそういう傾向が出ているのではないかという話だ。
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例えばの話だけど、リアルがうまくいかない人がMMO型のネトゲにハマって引きこもってしまうみたいな想像はひと昔前は結構想像できた。
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それはネトゲの世界は完全フィクションの世界であり、虚構であるため理想の自分、リア充な自分でその世界で生活できたから。
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学校や社会でうまくやっていけないだけで、中身は優しく素晴らしい人間性の人は沢山いる。
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弾かれるのは人とちょっと違うところがあるから、それだけである。
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容姿、喋り方、運動能力、学習能力。
人より何か一つ大きく劣るだけで、本来謙虚で優しい子は多い。
ネトゲは、ゲームと文字の会話で成り立つ社会である。
ここでなら普通のコミュニケーションを取れる、活躍できるという人はかなり多い。
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オンとオフの区別がしっかりついているから、リアルを割り切ってオンの世界で生きる事ができる。
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一方で、SNS世代はオンとオフの区別が薄い、もしくは壁がない。
オンライン上での自分はリアルの自分よりも盛られているのに、同一視してしまうことでリアルの自分とのギャップを生んでしまっているのではないか?
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人間は誰しも、自分をよく見せたいもの。
そのために努力する。
容姿であれば、鍛えたり、メイクしたり、整形したり。
しかし、SNS上で盛ることは簡単にできてしまう。
結果現実の自分と虚構の自分の区別がつかなくなり、鏡を見たときに自分を認識できなくなってしまうのではないか。
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明らかに容姿が平均より優れているのに、マスクなどで顔を隠したり、自分が不細工だと思い込み整形にこだわったりする人がいる。
それはSNS上の理想の自分とのギャップに苦しんでいるのではないか。
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今や盛ることは当たり前の文化になりつつある。全員がやっているなら、持っている状態がスタンダードな人物像、価値観になる時代が来るのかもしれない。
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だが、どこまで行っても錯覚だ。リアルを無視した価値観を持つことは人間を不幸せにすると思う。
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リアルに生きる。美味しいもの食べて、金稼いで、体を鍛えて、異性にモテる。
それで人間は生物的に満たされる。
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そういったものを無視して、フィクションの自分を本当の自分だと思う価値観は人類にはまだ早い。
少なくとも身体が有機的であるうちは。
機械の身体を手に入れたり、情報生命体へ進化した場合はどうなるだろうか。
フィクションとリアルが逆転しかけている今の状態は人類の進化の途中なのかもしれない。
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